甲北病院 院長のアメリカ留学記

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更新:2018.9.23

第1回---甲北病院 院長のアメリカ留学記

今から37年前の1981年6月17日、私はアメリカへ一人、旅立った。中学2年生の時のことである。

アメリカへ中学や高校で留学する学生などまだほとんどいなかったその前年の1980年の冬休み、まだ私が三田学園中等部の1年生だった時、アメリカはサンフランシスコ在住の従姉妹が10年ぶりに日本にきて、私の実家で過ごした。

この日本語がほとんどできない親類との出会いが、私の人生を変えた。翌年、私はサンフランシスコへ留学、従姉妹の家のお世話になることとなる。

まだ関空はなく、伊丹空港から成田まで飛び、成田空港から国際線に乗らなければならなかった時代。そして今のようにインターネットなどなく、国際電話をかけるのも、オペレーター(交換手)を通していた時代である。

私は16歳の時から現在まで、数年間を除き、日記を書き続けている。その日記を元に、アメリカでの学生生活について書きたいと思う。

まずは私の学歴から紹介したい。13歳の時に渡米し、中学、高校はサンフランシスコの私立の学校に通った。当時外国人を受け入れ、ESL(English as a second language) コースを提供している学校はまだまだ少なかった。私の英語の経験は中学の1年間だけだったので英語で苦労した。サマースクールにも毎年通い、3年後の 16歳の時、高校卒業に必要な単位をすべてとったが周囲から16歳での卒業は早すぎると説得されもう1年高校に残り、17歳の時卒業した。1985年6月のことである。 大学はカリフォルニア大学バークレー校(University of CaliforniaBerkeley)に入学。1989年に同大学の分子生物学部(Department of Molecular Biology) を卒業。今でこそ遺伝子工学の進歩やiPS細胞、ES細胞などで花形の分子生物学だが30年前はまだまだ新しい分野であった。同年、Wiscnsin州のウィスコンシン 医科大学(The Medical College of Wisconsin)に入学。1993年に卒業、医師となった。1年間の外科レジデントを経て日本へ帰国。1995年に日本の医師 国家試験に合格。京都大学の第一外科(当時)に入局した。2006年には京都大学大学院より博士号を取得している。現在は神戸市北区の甲北病院の院長を している。

甲北病院院長 近藤幹

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