Pochitto(ぽちっト)神戸 | 甲北病院 院長のアメリカ留学記
更新:2019.5.23
第6回---甲北病院 院長のアメリカ留学記
今回はアメリカのスポーツの話をしたい。
1980年代日本ではサッカーやバスケ、アメフトなどはまだまだマイナーで、私はアメフトなんて知らなかったし、バスケも名前くらいしか知らなかった。しかしアメリカではアメフトとバスケは超メジャーなスポーツ。
最初は「こんなスポーツ興味ないわ」と思っていたがだんだんとはまっていった。1980年代、私がいたカリフォルニア州を拠点とするプロのスポーツチームは真に全米最強だった。アメフトのオークランド・レイダース(当時)は1980年にスーパーボウルチャンピオンになった。地元サンフランシスコではフォーティーナイナースがQBのジョー・モンタナ、そして後にスティーブ・ヤングを要しスーパーボウルを5度制覇し、80年代最強であった。
メジャーのオークランド・アスレチックスは1981年にア・リーグ制覇、そして1980年代後半にはホセ・カンセコ、マーク・マグワイア、デニス・エカーズリーを要し、80年代最強のチームとなった。バスケットボールではマジック・ジョンソンがレイカーズで最盛期を迎え、往年の名選手、カリーム・アブドゥル・ジャバーとともに、NBA最強の時代を作った。コビー・ブライアントの登場は90年代に入ってからで、レジェンド・マイケル・ジョーダンの登場は80年代後半だ。
春夏秋冬と一年中何かのスポーツがあった。今と違って球場のチケット代も安くて、友達と週末に野球観戦に行ったものだ。一番の思い出の試合は1984年にサンフランシスコで行われたメジャーのオールスターゲームの観戦。ドクターKこと、ドゥワイト・グッデンが初めてオールスターに選出され、伝説の6連続三振を奪った試合。そのダイナミックなフォームと剛速球に度肝を抜かれた。それと1983年、日米高校野球がカリフォルニアで開催されたのを見に行ったこと。有名なKKコンビが1年生で全国制覇した年だ。
日本と違ってアメリカは観客席とベンチ野球場が近くて、何人かの日本の選手と直接試合後挨拶と話をした(勿論あちらは覚えてないと思うが)。ところで、今回でてきた選手がすべてわかる人はかなりのスポーツ通だ。
甲北病院院長 近藤幹