甲北病院 院長のアメリカ留学記

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更新:2018.11.23

第2回---甲北病院 院長のアメリカ留学記

私がアメリカで生活していた1980年代とはどのような時代だったか?

日本は1970年代の「モーレツ社員」、「ド根性と我慢」が美徳とされていた時代が終焉し、 社会現象となった竹の子族、アイドル、リーゼント頭のヤンキーや暴走族が台頭した時代だった。

そして、ソニーやホンダ・トヨタに代表される日本企業が世界を席巻し、日本は世界ナンバー2の経済大国に 成長、その数年後に到来するバブル時代へ向けて好景気に世間がわいていた。そのときアメリカは、「アメリカが初めて負けた戦争」と言われるベトナム戦争が終わってまだ数年で、 なんとなく終戦後の悲壮感がまだ国民感情として残っていた。そして、ベトナム難民と、イギリスへ香港が返還されることを嫌った香港系中国人が大勢西海岸へ移住してきた時代だった。

日本の経済大国としての台頭でアメリカは当時史上最大の貿易赤字を抱え、日本車のためにアメリカ車がアメリカ国内でも売れず失業率も史上最高となり、現在トランプ大統領が中国に対して言っているような発言を当時のレーガン大統領が 日本に対して言っていた。日本は働きすぎ、勉強しすぎ、真面目すぎ、なので「エコノミックアニマル」と揶揄されていたが、これは元々アメリカ発の表現ではないらしいが当時、日本人に対し差別用語の様に使われていた印象がある。

さて、田舎の岡場から渡米した13歳の私が、そんな難しいことなど知る由もない。アメリカ到着初日に本場のピッツァを食べさせてもらってそのおいしさに感動した。マクドナルドもテレビのCMで見たことはあったけれど 実際に見たのも食べたのも初めて。そして、なんといっても、「サブ」と呼ばれる、潜水艦をイメージしたような大きなアメリカのサンドウイッチ。これのおいしさと大きさに感動した。「アメリカの食べ物ってむちゃくちゃ おいしいやん!!」が私のアメリカの第一印象だった。そしてその広大な街並み。私は一気にアメリカが大好きになった。

甲北病院院長 近藤幹

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