Pochitto(ぽちっト)神戸 | 野次馬々日記
更新:2023.11.23
第10回---野次馬々日記
【野次馬々日記 VOL10】
秋も過ぎ、今年も終わろうとしています。相変わらずオロオロ、ヨタヨタと旅を続けています。
旅にはいろいろの楽しみがありますが、私はその一つとして自分宛に絵葉書を出しています。はじめたのは夫を亡くして一人でパックツアーに参加するようになってからです。夫は亡くなる直前「家は処分して小さな部屋に移って、あちこち出かけたらいい。」と言ってくれました。その時は、「一人行っても…」と思いました。でも一周忌も待たずに家を処分、施設へ入居してしまいました。そして施設の生活に少し慣れた頃、参加したのがギリシャ、イタリアへのツアー。フィレンツェでの自由時間、私と同じ1939年創業のカフェで書いた絵葉書が始まりです。「自分宛の葉書を出すのはいいアイディア、旅も終わり。人にも恵まれて」の記述があります。以来五十枚以上の葉書が手元に残ってます。読み返すと、バルト三国での旅では「ロシアはナチスより嫌われている」インドネシアでは「ドルはいやがられた」等、国の印象の記述、ある時は自省の言葉があったり当時の心境がよみがえります。
そして昨年末、面白いことがありました。「博物館明治村簡易郵便局」から封書が届きました。裏は「明治村にて本人記す」とあり、当然表も私が書いたものです。中には「八十三歳の私へ」ではじまる手紙が入っています。十年前のものです。「お元気ですか?今日初めて明治村に来ました。(中略)明治生まれの親から受けついだ気質を思い出しています。何かきりっとしている誇り高さのようなものです。自画自賛。」というわけで、八十三歳の私は当時のイメージのまま受けとることができました。一緒に書いた友人はもう亡き人です。
最近吹屋ふるさと村へ行ってきました。そこで書いた葉書「思いがけずよい旅。奥出雲おろち号、予想をはるかに上回る。出雲の宿も思い出二つ。またできた(注:旅行を)元気を出そう。吉報を待ちながらの旅」と書いてあります。吉報を待ちながらとあるのは十二月から予定していた船旅のことです。診断書の提出を求められ、検査等を受け、診断書待ちだったのです。結果は医師の同意は得られず残念ながら×。それでも四月には行こうとしている明治生まれに育てられた野次婆々です。