Pochitto(ぽちっト)神戸 | 中学受験コラム
更新:2018.11.23
第1回---中学受験コラム
灘校ってどんなところ
はじめまして。このコラムでは、お子さんやお孫さんの進学を考えておられるご両親や祖父母の皆さんに。今どきの中学受験についてのお話ししたいと思います。最初は、和が母校についてお話します。
昭和三年、東灘区の住吉川畔に、灘五郷の酒造家で「菊正宗」「白鶴」の両嘉納家と「櫻正宗」の山邑家の篤志を 受けて、旧制灘中学校が創立されました。白鶴嘉納家の親戚で、当時東京高等師範学校(現・筑波大学)校長兼 講道館官庁であった嘉納治五郎千世が顧問として参画。先生は、講道館柔道の創始者でもあったため、柔道の精神 「精力善用」「自他共栄」が校是に。現在でも中学と高一で週一回柔道の授業がありますし、柔道場には先生直筆の校是が 、額に入れられて掲げられています。
当時は神戸一中(現・神戸高校)や神戸二中(現・兵庫高校)等に入れなかったものが入学する学校でした。神戸一中や二中に入れないご子息をもつ 裕福なご家庭のために学校が造られたとも。現在の姿からは想像もできませんが、今で言うところの「公立高校の 滑り止め」ですね。そのため、当初から官公立中学(現在の公立高校)に「追いつけ、追い越せ」ということを考えていたそうです。
もしかすると、その辺に調進学校に変貌していく「芽」があったかもしれませんね。
戦前は柔道部や野球部などの活躍の方が有名だったそうですが、戦後の学制改革で、多くの旧制中学が新制高校へ の移行に四苦八苦していたときに、いち早く旧制中学の延長という考えに基づいた「中高六箇年一貫教育」を実施。 これが奏功して進学実績が上向きになり、昭和四十年代には都立日比谷高校を抜き、国立・私立高校で初めて東大 合格者トップに立ったのです。
次回は、「灘中の入試問題」についてお話しする予定です。
灘中学受験アカデミア 谷口 進師