Pochitto(ぽちっト)神戸 | ぽちトピックス(ふれ愛びと)
更新:2024.3.23
第41回---ぽちトピックス(ふれ愛びと)
- Qなぜこの職業をえらんだのですか?
- A小さい頃は近所の山の中に入り、勝手に木を切り倒して秘密基地を作ったり、虫を取ったり、土日は北五葉サッカークラブでサッカーをしていました、キャプテン翼が大人気だった世代です。あの頃はきたきた祭りが毎年鈴蘭公園で開催されていて、親にもらった小銭を握りしめ、露店で何を買うかを悩みながら会場を回るのが楽しみでした。学生になり、びっくりする程満員の神戸電鉄に乗って通学、超満員で体が浮いたり、カバンが行方不明になりそうになるほどの人の多さでした。学生時代はこれまた近所の池でブラックバス釣りや、友人とスーパーファミコンなどを楽しみ、サッカーに没頭していましたね。大学に入り、三宮に出てアルバイトをするようになり、社会勉強が楽しすぎて大学には6年半通い、就職氷河期だったこともあり職選びは大苦戦しました。営業職などを転々としながら子どもの誕生のタイミングで、このままではイカンと心機一転。食っていくために死ぬほど勉強して公認会計士試験に挑戦し、運よく2年で合格できたのが29歳でした。今あなたの仕事は何?と聞かれると「政治家」なのですが、自分で選んだ職といえば、この公認会計士ですね、「食っていくため!」というのが正直なところです。政治家にありがちな「学級委員や生徒会長やってました!」というこどもでは全くなく、政治にはどちらかというとほぼ興味無し。でも、この公認会計士になると、不思議と?数字が見える事から色んな社会問題が数字の面から入ってくるようになり、この世の中マズい事になっているなあと思うようになりました。自分にも何かできるのでは?という謎の義務感が湧いてくるようになりました。そこに橋下徹さんが維新の会を立ち上げる!というニュースが目に入り、自分の義務感と刷新への期待感がマッチしてその世界に飛び込んでみることに決め、維新塾生になったのが政治家への入り口でした。最初は国会議員志望でしたが、当時の政党間のしがらみから維新からの出馬はせず、無所属で衆院選に挑戦・敗退し、その後市会議員選挙に挑戦し初当選させて頂き、いま4期目になります。祖父が日本社会党・入り口は維新の会・今は自由民主党所属というある意味無茶苦茶なルーツですが、こんな私を受け入れて下さる地域の皆様に心から感謝です。
- Qどのような活動をしてますか?
- A「地元の人が喜ぶ事なら何でもやる」というのが私の活動です。人がこの街を選ぶ理由、居続ける理由になるような事を作っていく、それが議会の中の仕事でも外の仕事でもやる。これが私の使命だと思っています。北区はこんなに広いのに、スポーツに打ち込む場が実は限られているという実情がありました、屋内屋外を問わずです。文化スポーツに打ち込む環境が整っている事は家族がそこで子育てをする理由付けの一つです。約15年前に閉校した鈴蘭台西高校のグラウンドが雑草だらけで放置されていましたので、「勿体ない!」という事で、県にグラウンドとして開放してもらうよう要望、「県は市になら貸すが地元にはダメ」という事で、市が借りて地元が管理する体制を組もうとするも、色々なハドルを示されなかなかハードな準備に・・・最終的に県から区役所が借り、それを地元スポーツ団体共同で立ち上げた協会が管理する体制を構築し、いま「鈴西グラウンド」として、様々なスポーツ団体に利用してもらっています。また、「体育館が足りない!」という声、少年少女のバスケットボールチームで、放課後練習のため市外の体育館に保護者が送迎し練習している状況は酷い!という事で、学校施設の空き時間を利用できないか?教育委員会と折衝しました。何かあったら困るという委員会の立場なので、当初は難色を示されましたが、「学校は元々市民の財産なのだから、広く市民に開放するべきだ、管理できないのであれば、教育委員会は学校という施設の管理を市長部局に返還してしまえ!」と戦い開放を実現、市内83校の中学校のうち現在61校で夜間体育館が解放されており、この春からプラス3校が追加、北区でいうと14校が利用できる状況になっています。チームの保護者さんからは、「遠くまでの送迎が減りメッチャ助かった!」と喜んでもらっています。そして、鈴蘭公園で鈴蘭花火を仲間とともに開催しています。紙面の関係で端折りますが、驚くほど多くの皆さんの協力と、地元事業者の皆さんからの協賛を頂き開催出来ています。子どもの頃小銭を握りしめて祭りに行った公園で、大人になった自分達が街の子らに打上花火を見せてあげられる、こんな最高な事はないと思います。活動の一端はこんな感じでしょうか。
- Q読者に向けて一言
- A昔パンパンだった神鉄も人が減って元気がない、「街を元気にしてくれ!」という声、何をやれば元気になるか?基本的に、道路と公共交通の利便性、アクセスを向上させられれば、住環境最高の我々の街はどこにも負けない街です。市議会に入った当初、先輩から、「市ではもうほとんどやる事がない」などと聞いていましたが、山のように仕事があり、山のように街おこしの要素が眠っているじゃないですか。私も46歳、自身の子どもも3人、地元に責任ある人間としてこれからの世代に色んな事やものを残してやりたいという思いが強くなってきました。まだまだ私に出来ることが多くあるので、これからも喜ぶ顔を増やすために頑張っていきたいです。活動でお話した事など、旗を振れば街のみんなで協力して実現できる事が沢山あります。面白い事にもっともっと挑戦していきたいのでみなさんの力を今後もぜひお貸しください!
↑五島 大亮
↑「鈴西グラウンド」ドローンによる上空からの撮影
↑北区のバスケットボールチーム「神戸HOPES」さんと
↑鈴蘭花火の仲間との打ち上げ
↑きたきたまつりのステージより
↑小学校の入学式にて
↑末広稲荷こども神輿。こどもの時しか担げないので思い出と地元の愛着に。
↑のどかな自然にかこまれた北区で虫取り子育てには非常に良い環境だと思います。
↑大渋滞となっていた皆森の交差点を調査。左折専用レーンをなくしたことで渋滞を大幅に解消!これも仕事のひとつです。