Pochitto(ぽちっト)神戸 | 日本人と英語
更新:2020.5.23
第14回---日本人と英語
万年筆で修士論文を清書していた父の部屋にはタイプライターがあった。デューイを研究していた父は、アメリカに出す英文の手紙はタイプするのが礼儀だと言っていた。助教授時代の父の研究室にはオアシスというワープロがあり、研究生が指一本で入力していくので、私は得意げにパチパチ打ち込んであげた。
イギリスの高校にはプログラミングの授業があり、BASICを習った。大学生になった私は学科で一人だけ、ズルいと揶揄されつつもノートPCでレポートを作成し、印刷して出した。初老のハリス先生は、私の英作文にいつもトリプルAをくださった。先生方にとって読み易かったのだろう。丁寧なコメントをいただけることも多かった。
父と私は、とにかく「印字」が大好きだ。ものすごく字が下手くそだった父は、学校でノートが取れず、気合で教科書を丸暗記したらしい。何年も習字の特訓をして、一畳ほどの大きな篆書の掛軸を書き上げたほどだったが、指導する研究生に渡した参考文献のメモが解読不能で、礼儀正しいその学生は読めませんとはどうしても父には言えず、こっそり私に聞いてきた。
もしかしてご息女なら読めるかもしれないと思ったらしい。父はあらゆるペンを試し、中でもモンブランの万年筆を愛用していたが、その万年筆で書いた論文は件のご息女が2歳の頃、珈琲を撒いて全部滲んだ。母は泣きながら実家に1週間私を連れて帰り、父は不眠不休で二百枚を清書し直した。この苦行は後々まで家族に語り継がれる。
母は国語の教師で美しい字が書けるので、練習すれば誰でもきちんと書けると信じていた。私の宿題はもっぱら字が汚いということで何度もやり直しさせられた。きれいで見やすいのが良いに決まっているが活字のようには書けない、宿題は進まないので疲れ果て、大量に練習したのも出来栄えが気に入らず破り捨て、漢字練習帳を提出したのはおそらく10回以下である。
一方、母は手書きとは思えない美しい明朝体で書類を清書していたし、ピアノが得意だった彼女は日本語タイプライターもすぐに覚え、ローマ字入力よりもよほど早かった。父子は英語の混じった文を打つからアルファベット26個で間に合う方を選んだのだが。私も手で書くという苦行からどうにか解放されたかった。(つづく)
ECC鈴蘭台駅前教室 前島朋子先生