Pochitto(ぽちっト)神戸 | 日本人と英語
更新:2023.3.23
第31回---日本人と英語
ケンブリッジの秋は未体験の寒さだった。9月からイギリスに留学することになり、ようやく落ち着いた日本の高校生活も友人関係もすべて手放さねばならなかった私には、薄暗いケンブリッジの灰色の空が物悲しく、耳が切れるような鋭く冷たい風が耐え難かった。
長らくテレビも音楽もゲームもマンガも封印して受験勉強し、ようやく合格した高校だったのに、あっという間に全部が無価値になった気がした。弟たちは私が受験勉強をしている間にスイスのインターナショナルスクールで4年過ごし、イギリスの公立中学に通っていて、10月には帰国する予定だった。
父は自分がどんなに器用で賢くても、大人になってからの語学は子供に敵わないと知っていた。子供時代の英語教育で一生涯、追いつけない差がつくことも知っていた。弟たちと入れ替わりに私をイギリスに呼び寄せようとした父は、留学などしたくない、日本を離れるのが怖い、お友達と別れるのが悲しいと泣く私に、何度も国際電話で「よお考ええや」と繰り返した。私はクラス担任の英語教師に、全く気が進まないがとにかく留学しなければならないので学校を休学したいと相談した。
彼女は眉をひそめて、自分がアメリカに留学した時はもっと真剣に努力したから成功したが、そんな動機で行っても失敗するだけだから、お父さんにちゃんと話して留学はやめておきなさいと言った。にわかに反骨精神に火がついたのか、それは間違いだと証明してやろうと、さっさと休学届を出してスーツケースを買いに行った。しかしすぐに不安と後悔で心は萎み、文字通り泣く泣く飛行機に乗った。
イギリスに到着しても、今度はヒースロー空港の入国審査に通してもらえなかった。イギリスの学校の入学許可書もない、15歳の女の子が一人旅で付き添いもいない、英語もろくに話せない、イギリスのどこに父親がいるのだ?といかめしい風貌の審査官に問われた。住所を書いた紙をおずおずと差し出すと、おまえの父親はケンブリッジで何をしている?と聞かれ、ついに何十回も練習したマジックワードを言う時が来た。「ビジティングスカラー・オブ・ケンブリッジ」と言うと、審査官は無言で大きく頷いてガチャンと入国許可印を私のパスポートに押した。
(つづく)ECC鈴蘭台駅前教室 前島朋子先生