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更新:2022.5.23

第26回---日本人と英語

ラジャード・ケプリンは19世紀のイギリス人ノーベル文学賞作家で、英国統治下のムンバイで育ち、母語は現地語、両親とは英語で話すバイリンガルだった。

現地語で夢を見る、現地語で考え、英語に翻訳して両親と会話をしていた。家庭は裕福だったがオックスフォード大学の学費を捻出できず、奨学金を得るほどの学力はないと断念し、パイオニア誌の英領インド特派員になる。

24歳で半年分の給料をもらってロンドンで文学を学ぶためにインドを立ち、香港、日本、アメリカ、カナダ等を半年かけて旅行してリバプールに着く。

「ラジャード」は、私の寄宿学校があったスタッフォードシャーのラジャード湖にちなんだ名前で、ライブラリにはケプリン全集があった。薄くて平易な「Just So Stories」だけは読めて、「ソロモン王の999人のお妃には優しい人も大勢いたのだが、数名の性悪な妃たちが優しい妃たちを口汚く罵ったので、しまいにみな性悪になってしまい王は苦悩していた」という文を理解できた時には、マリワナで退学になった苛めっ子バートの呪いからようやく解放された。

百年昔のその童話には「鯨は背中につくほど大きく口を開けて漁師をイカダごと飲み込み、尾びれで3回転した」と書いてあったが、全く同じようにオキアミを飲み込む様子がドローンで世界初に撮影されたのは二〇一九年である。知りたがりの子象や粗暴なサイのお話はECC教材のあちこちで再会する、ネイティブに体験した英語文化と私の職業とを繋ぐかけがえのない接点になった。ケプリンはアジアと欧米が融合することは未来永劫ないと詩に書いたが、東西は理解し合うことはできるが融け合うことはないという意味だったろう。食堂でいつも一人で、どのクランの仲間にもなれない私はむしろ自然な状態だったのだ。ケプリンは6歳から6年間、インドの両親と離れてポーツマスのホロウェイ家で教育を受けるが、子供らしい発言を許されず、ホロウェイ夫人から責め募られる恐怖の時代で、読書に没頭したと回想している。

ケプリンの文学人生の始まりが精神逃避の産物であったように、私の英語も孤独の日々の中で脳裏に刻まれた、母語とは決して融合しない言語体系だった。(つづく)

ECC鈴蘭台駅前教室 前島朋子先生

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