Pochitto(ぽちっト)神戸 | 日本人と英語
更新:2022.9.23
第28回---日本人と英語
ハンガーストライキ以外に抵抗の手段を思いつかなかったので、朝から食事を拒否して真っ暗な階段下の部屋に閉じこもった。
17歳といえばイギリスでは車も運転できるし、飲酒や喫煙も合法だった。しかしサザーランド夫人は、ロンドンに男性と観光に行くなどお父上が許すはずがないと言って許可してくれなかった。
上流階級のイギリス人はハグもしないし、私には笑顔もくれないので冷酷な感じがする。差別的で理不尽な扱いには慣れていたが、この時ばかりは我慢できなかった。私に優しい眼差しを向けてくれた人気者で模範生のジェイコブとの約束を果たせないのが、身を斬られるように辛かった。きっとロンドンに会いに行く、あのパンクロス駅の時計の下で待っている、という言葉がずっと木霊していた。夜中過ぎ、私はついに決心して、こっそりサザーランド家を抜け出し、始発に乗ってロンドンに行くことにした。
時計台の下には両手をズボンのポケットに突っ込んで、こっちを見ている背の高いジェイコブが壁に寄りかかって立っていて、私は手を振って走っていった。ハイドパークの白鳥、中華街の長くて重い箸、ジャスミンティーの香り、風に揺れる柳の枝、夢のような時間は瞬く間に過ぎて、くたくたに疲れて部屋にこっそりもどり、泥のように眠った。
次の朝、2日ぶりに部屋から出てきた私にサザーランド夫人は、ファーラント校長に食事を拒否していたと報告するというので、抜け出したことがバレずに済んでよかったとかえって安堵した。ジェイコブはアボツホルムからそう遠くないリーズ大学で化学を専攻する予定だった。
週末にはウットクスターに遊びに行くと言っていた。サザーランド夫人に手紙を読まれるのは困るので、学校宛に文通することになっていた。新学期に帰寮してみると、早速、ジェイコブから手紙が届いていた。
「あの日、僕はずっとパンクロス駅で待っていたが、君に会えなくて残念だった。でも許すよ。今度は僕が約束を守れないようだ。試験の結果はEだった。どこの大学にも入れないから、イギリスには1年間は行けなくなったよ。だから週末にも会えなくなった。許してほしい。」
確かにロンドンで一緒にお昼を食べて街を散策したはずだった。しかし階段下の部屋には、窓はなかった。(つづく)
ECC鈴蘭台駅前教室 前島朋子先生