Pochitto(ぽちっト)神戸 | 日本人と英語
更新:2021.7.23
第21回---日本人と英語
父はケンブリッジ大学で客員教授をしていた。リーズ大学でも講義をしていてイギリスの大学にかなりの人脈ができた。
日本人がイギリスの大学に入学するには6年かけてAレベル等の科目を履修し、全国一斉の最終試験で合格しなければならない。そればかりでなく、Aレベルの2年間に何度か、成績や実施中のプロジェクトなどを携えて大学を訪問し、入学したい学部の教授と懇談して最終試験の成績の条件を決めてもらう。
学生によってプロジェクトの完成度もコースワークの達成度も違うので、Aレベルの要求される成績もまちまちで、合格の条件は教授の一存で変わりうる。
学費は外国人は2倍で、正規の学生として入学できる門戸はとても狭い。
一方、大学間の提携なら日本の学生をビジティングスチューデントとして担当教授の推薦で留学させられるので、父は当時は少なかったイギリスの大学との提携を作ろうと精魂を傾けていた。多くの大学で提携の申し入れは順調に受け入れられ、それを日本に持ち帰って教授会で承認を得るばかりのところまできていた。教授が決めれば誰でもイギリスの大学に入れるのかと聞くと、原理的にはそうなるが、たとえ自分の娘でも推薦しないと言うので、お父さんに頼むつもりなど毛頭ないと啖呵を切ってしまった。
プロフェッサーという仕事は「公に言う者」という職業であるから、自分が話すことには研究と根拠があり、学者の生命を賭して言う。だからこそ大学が受け入れる学生の選別には教授に裁量権が与えられているし、それで不正どころか整然と秩序が守られるのだ。
そんな屁理屈はクソ喰らえだと言い返したが、私のやるせない気持ちは晴れなかった。ジェイコブに進学のことを尋ねると、自分はリーズ大学で化学を専攻するつもりで、Aレベルの化学はB、それ以外はCでいい。ずいぶん楽な条件なのかと思っていたが、Aならオックスフォードだから試験の難易度は非常に高い。父の大学提携案は日本に帰ってから教授会で承認されず、イギリスの大学の教授たちは父を裁量権ある人物と認めて丁重に提案に応じたのであり、提案しておきながら拒否した日本の教授会への信頼は失墜したに違いない。
この時の父の心痛も、計り知れない。(つづく)
ECC鈴蘭台駅前教室 前島朋子先生