Pochitto(ぽちっト)神戸 | 日本人と英語
更新:2024.1.23
第36回---日本人と英語
父は、パリ大学で講義をしたとき、パリジャン、パリジェンヌの学生たちが知的で洗練されていて、かたや日本の大学生が幼く頼りなく見えたもんだと話していた。
美しい校舎の廊下を進んでいくと大講堂に大勢の学生たち、フランス語の雑談が心地よくそよそよと響いてくる、その壇上に父の姿を認めるや、みな英語で話し始める。プロフェッサーへの礼儀として、おしゃべりすらごく自然に英語に切り替えられる学生たちが素晴らしいと感心していた。しかしもっと筋金入りのエリートがフランスにはいて、彼らは大学には来ないのだ、グランズ・エコールという過酷な教育機関でトレーニングを受けて国家の中枢を担う、すごい国なんじゃと言っていた。
イギリスに15歳で渡航したときのトランジットはモスクワだったが、自動小銃を持ったフル装備の背が高い兵士たちが警備していた。18歳の帰国便はパリ経由で、ロンドンを朝8時に飛び立つはずだった。飛行機のチケットが手元に届いたと父に国際電話をすると、「絶対に遅れるな、何がなんでも乗り遅れるな」とだけ言われた。番号案内に電話をかけて事情を話すと、空港ホテルの番号を1つ教えてくれた。
前泊の予約をとり、朝5時に起きて6時前にヒースロー空港に到着したところ、パリ空港はストライキで昼からしか開かないので11時出発になりましたとアナウンスがあった。拍子抜けしたが、豪華なコンチネンタル・ブレックファストが振る舞われるというので、欲張ってベーコンとソーセージを両方とも食べようとしたら、どちらか一つですとたしなめられた。ストライキとは、不満を腹に据えかねた従業員が経営側と激しくもめるのだろうから物騒だなと思っていたが、昼のパリ空港は平穏だった。ゲートが変更されて、がらんとした待合所に1人、もう出発の時刻なのになぜ誰もいないのだろうと思いながら座っていた。仏語しか通じないんだろうかと思いつつ、職員の女性にチケットを見せたら、彼女は血相を変えて鍵の束を握りしめ、Come with me!と言って走り出し、私をカートに乗せてすっ飛ばし、別のゲートでブリッジをとうに取り外した機体の真下に来た。見たこともないハシゴが降りてきて、それをよじ登りながら振り返ると、彼女は私にサヨナラと言った。メルシーと言えばよかったと気付いた頃にはもうパリの上空を過ぎていた。(つづく)
ECC鈴蘭台駅前教室 前島朋子先生