Pochitto(ぽちっト)神戸 | 日本人と英語
更新:2024.3.23
第37回---日本人と英語
水王舎の出口先生にお会いした時、先生は漢字練習帳などいらん、英語の授業などいらん、とおっしゃっておられた。現代文といえば出口汪といわれる国語界のカリスマだが、「僕は薔薇という漢字は書けない」といつも話しておられる。
漢字は読めればいいのだ、書ける必要はないから漢字練習にムダな時間を割くより、その分、読書をした方が語彙が増えて理解できる世界が広がる。学校で英語を教える必要もない、英語が読めなくても訳本で内容をしっかり理解できればいい、これほどたくさんの訳本があって母国語で勉強できる恵まれた環境がありながら、なぜ英語の精読なんかに時間をかけるんだ。
英語は我々の言葉じゃない、国語を勉強したまえ、君たちは日本語の論理的な思考力を磨け、と熱弁しておられた。私も出口先生のお考えには賛成なのだ。アプリもAIも発達して、大抵のものに翻訳の作業が必要なくなった。渡英した二昔前、私は日本の政府が日本人を、英語は読めるけれどもしゃべれないように教育しているのだと思っていた。語学よりも技術の研究開発に重心を置き、外から情報を取って日本語のクローズドな環境で利用する、そこでの成果は言葉の壁に守られて外には伝わらない。
一方、そんな日本人が海外の環境に適応するのは難しいので、私のように高校時代を英語圏で過ごすと、語学力が追いつかず成績は振るわない、友達もできない、大学はせいぜい聴講どまり、行く先々でいじめにあう、ついには自尊心を失う憂き目を見る。だからこそ私は、日本に帰って、こんな災厄をことごとく祓う魔法の杖を持たせてあげられるような英語の先生になろうと考えた。その杖を望む者だけが英語を習えばいい。
父は、学生寮に私を送って別れ際、3週間もすれば英語が自然に聞こえてくるようになるから心配ないと言ったが、3週間経っても、3ヶ月経ってもそうはならなかった。もうそろそろかなと思いながら3年経っても、やはり自然に聞こえるようにはならなかった。帰国して東京外国語大学を受験すると言ったら父は、何を研究するんじゃと聞くので、日本人と英語だと答えた。それは一生かかっても終わらんじゃろうのう、と言った父の声は意外にも朗らかだった。(つづく)
ECC鈴蘭台駅前教室 前島朋子先生