Pochitto(ぽちっト)神戸 | 日本人と英語
更新:2018.11.23
第5回---日本人と英語
香港出身のミシェルは16歳で、私と同じ英語と数学のクラスにいた。社交的で華やかな彼女はイギリス人とも他のヨーロッパ人ともよく楽しそうにお喋りして、語学で不自由している様子はなかった。
家族が香港で経営するビジネスを継ぐことになっていたので、マーケティングやアカウンティングを学んでいた。もうこの年齢で大学生みたいな勉強をするんだなと思った。さらにプログラミングを取るともう3科目で手一杯だから数学はドロップしようかと思うと言うので、関数が分からなくなってもいいのかとずいぶん説得したが、やはり彼女は数学をやめてしまった。「数学のための時間はない」という理由が私には理解できなかった。
数学は基礎科学なのだから、化学も物理も統計も、数学なしでは自然科学の全てを失う気がして、彼女の行動が無鉄砲で怠惰に思えた。彼女は経営者になるべく、限られた時間と体力を自分の専門性に集中する特化戦略に出た。一方、英語の先生になるなど実際できない気がして、私はあれこれ多角的に科目を選んで、何時間勉強しても課題が終わらない。ただ数学は簡単で、グラフや図形をさらさら描き、電卓を使わず素早く暗算する私を見て、日本人はみんなできるのかと驚いていた。
私の方は、イギリスでは高校や大学入試レベルの統一試験に自分の関数電卓を持ち込んで受験するということが驚きだったが。
英語のスペンサー先生は、私は授業に参加もせず、本も読んでこない不真面目な生徒だと思っていた。実は夜中までこっそり勉強していつも眠かったので、授業に集中できないダメ生徒に見えたのだ。教科書から目も離さず始終うつむいている私とは対照的に、ミシェルは課題の小説のストーリーや登場人物について流暢に感想を語り、先生をなれなれしくミスと呼び、RP(BBCニュース標準の英語)アクセントで得意げだった。年度が終わる頃には、EFL(外国語としての英語)の全国的なテストが行われ、私はBをとり、ミシェルは不合格だった。リスニングも面接もない、課題作文だけの筆記テストだったが、Bは非常に優秀な成績で、校内では私だけだった。スペンサー先生は「あなたは自分を誇るべきだ。ウェルダン、トモコ。」とおっしゃった。それからミシェルは私を疎ましく思うようになり、ますます饒舌な英語で私の疎外感を煽るようになっていった。(つづく)
ECC鈴蘭台駅前教室 前島朋子先生