Pochitto(ぽちっト)神戸 | 日本人と英語
更新:2024.9.23
第40回---日本人と英語
夏目漱石はイギリス留学中に鬱病になった。貧相な体格へのコンプレックス、カルチャーショック、SAD(季節性情動障害)、言語能力の限界に苦しんでいた。
漱石の手記には、『馬鹿げた英語をしゃべって、向こうに通じないので閉口した。
言葉が通じないため、まるで犬や猫のように扱われた』とあり、高校の英語教師だった漱石は1900年、明治政府から託されてロンドン留学を命ぜられたが、文豪たる漱石が生涯にわたって精神を患うほど、その2年間の留学生活は過酷で孤独だったのだ。
当時33歳、国費留学生だからこそ、一足飛びにバイリンガルになって、エスタブリッシュメントと対等に渡り合える語学力を持ってしてやっとのことで英語が通じる、と考えていたのかもしれない。
大英帝国世界地図からすれば極東の位置にある日本の言葉と、ヨーロッパ系の英語との言語距離はあまりにも遠い。日本語ー英語のバイリンガルになるには、幼少期から両言語に触れていること、日常的に両言語に頻繁に接する環境があること、継続的に練習、使用し続けること、言語だけでなく背景にある文化をも理解すること、などの条件が揃わねばならない。そこに膨大な時間と労力を費やし続けるのが英語学習の道だ。
英語が好きだと思えなければまさに荊の道であり、諸々のストレスでメンタルが疲弊するだろう。KIXに向かうエールフランスの機内食には日本食が振る舞われたが、ずいぶん懐かしい味だった。
イギリスから離れてみても、まずもって3年間のすべてが辛く悲しい出来事しか思い出せない。
何年も毎晩泣き暮らしたが、今はもう涙も出ない。殺伐とした思いの中、一つだけ輝く気持ちがあった。
それは愛読書の『吾輩は猫である』の謎解きである。イギリスのフランス語の教科書は「私の猫はどこですか?」というフレーズから始まるという、非実用性を皮肉ったジョークがあるが、ルイス・キャロルは不思議の国のアリスで、話しかけても無視するネズミに、英語が通じないならフランス語で話そうとアリスは考えて、ふと教科書の最初のセンテンスを言ってみたのだが、猫と聞いてネズミは余計に恐怖したという一場面を描いている。
漱石は読んだはずだ。「私は猫です」はその若干自虐的な洒落なのかなと、存外、漱石も英語は面白いと感じていたかもしれないと我ながら悦に入った。(つづく)
ECC鈴蘭台駅前教室 前島朋子先生