Pochitto(ぽちっト)神戸 | 日本人と英語
更新:2020.11.23
第17回---日本人と英語
スパルタ式、ストイックなどという言葉は聞かれなくなった。暴力や隷従などと一括りにされて、誤用誤解されることも多い。楽しく学ぶ、褒めて伸ばすなど、ややもすれば安易な褒め言葉とご褒美のようなオマケ評価で気分を盛り上げて勉強させる手法が主流になった。
祖母はひたすら私を褒めてくれたが、父は一つも褒めない親だった。唯一、父が心底感服したというふうに言ったのは「英語の発音じゃやはりワシは敵わんわい」だった。父から他に褒められた覚えもないので、今でもこの一言が私の心には木霊している。
イギリスの学校の先生たちも滅多に褒めなかったし、親切すぎるサザーランド夫人も褒めない人だった。それでは自信もやる気も出ない。どの科目にも自分には才能がない気がする。いくら努力しても達成感がない。よく理解できない英語でAレベルの物理や化学を勉強するのは、闇のどん底でもがくような息苦しさと絶望感に苛まれる。
ばあちゃんなら、ああよく頑張ったねと言ってくれるんだがな、今すぐ日本に帰りたい、イギリスには二度と戻りたくないと毎晩泣いた。みんな鬼のように厳しいと父に国際電話をしたら、次からあなたのコレクトコールは拒否されましたとオペレーターに言われた。
クリスマス休みにみんな帰省するから私も日本に帰りたいと実家に手紙を書いたが、寮長先生から航空券が高すぎるので購入できないとお父上からお返事があったと言われた。ホームシックで泣き暮らす日々が続いた。年末はサザーランド夫人はお城で過ごすので、私と老犬を車に乗せて北に向かった。冬の寒空はどんどん濃い灰色になり、途中で立ち寄ったケプリンの実家を眺めながら幽霊が出るらしいよと解説された。
もうこんな国はウンザリだ、その夜のお城の晩餐会で焼け鉢で皮肉ともユーモアともつかない冗談を言い、没頭していたBASICについて朗々と英語で語った。イギリス紳士淑女の方々は東洋の果てから来た珍客の話を聞いてくれた。ついに私は褒め言葉などいらない境地に達した。それは逆境こそ成長の場という信念と、父のストイシズムのお陰かもしれない。今になって絵本教材にケプリン著とあるのを見つけ、あの幽霊屋敷は価値ある経験だったと理解した。(つづく)
ECC鈴蘭台駅前教室 前島朋子先生