Pochitto(ぽちっト)神戸 | 日本人と英語
更新:2025.3.23
第43回---日本人と英語
東京外国語大学のセンター試験は英、数、国だった。歴史も選べたが、もう試験まで3ヶ月しかなく、数学が合理的な選択だと思われた。
しかし語学の大学なのに試験科目がなぜ「数学」でもいいのか、不思議だった。小さい頃から私の大の苦手は算数で、そのコンプレックスから中学時代はひたすら数学を勉強した。全部の科目で5を並べるには数学こそが鬼門だったのだ。
父は岡潔を引用して、数学は「人間の創造した美しい言語」なんだから、東京外大の試験科目はまことに理にかなっていると言った。父は文学部の教授だが、中高生らが専ら勉強すべきは物理だと信じていた。自然界の道理を理解するための思考の道具として、日本語や英語があり、それらの人間の言葉としての冗漫さを排し、エッセンスだけを捨象したものが数学である。ガリレオは「宇宙という書物はthe language of mathematicsで書かれている」と言った。ウィトゲンシュタインは「Mathematics is a language」、つまり数学とは単なる計算技術ではなく、ある種の「人工的な言語システム」であり、そのルールに従って思考を整理する道具だという。
いったい、いつそれが私の将来に役立つのか、英語を専攻する私が、日本語と数学に長けていることで有利になる場面があるのだろうか、なんだかイメージは乏しかった。ところが私の人生で、私に最も利してくれたのは英語とセットになった「日本語と数学」だった。
学生生活がスタートするやいなや、家賃2万5千円、風呂無しトイレ共同の柏荘というアパートの6畳一間に98ノートが一台あるだけ。親子喧嘩で仕送りがなくなった私は、隣の部屋のヒンディー語科の友人に食事をたかり、数ヶ月も経った頃「朋子ちゃん、生活費入れて」といわれ、学生課からも半期の学費を納めないと除籍するといわれて、降参するか、自ら活路を見出すかの岐路に立たされた。学生課で求職をあたると存外、プログラミングのわかる翻訳学生バイトは重宝されて、1ヶ月に40万円のアルバイト料をもらって学費を払った。会計システムのマニュアル、ウェブコンテンツの日本語バージョン、新しいプログラミング言語がリリースされるたびに仕様書を翻訳する仕事が山ほどあり、機械翻訳の分野では、マクロを作れる英語と日本語の堪能な学生は時の人だった。(つづく)
ECC鈴蘭台駅前教室 前島朋子先生