Pochitto(ぽちっト)神戸 | 地元のお話「神戸にあった難波」
更新:2019.3.23
第13回---地元のお話「神戸にあった難波」
【鵯越の出来ごと (10)】
会下山公園の西に水タンクが置かれた岡があります。
一の谷合戦の折には三草山と呼ばれ、平家山の手の大将教経が山頂から全戦場を見渡していました。
眼下で展開する西木戸の戦いでは、一の谷と呼ばれる湖の北の野原(五番町)で源平両軍が激しく戦っていますが、平家の軍兵は入れ替わりながら激しく戦っているものの、一方の源氏は孤軍奮闘、援軍も期待できず、平家の大群の中に埋もれてしまいそうです。
遠い東木戸では逆茂木を越せない源氏の軍兵、生田川の海辺から逆茂木を引き抜いて城内に入りましたが、多勢に無勢、押し戻されています。
高取山の北の峠での戦いは、越中前司盛俊の軍勢が源氏と戦っている様ですが、戦況は全くわかりません。
不気味なのは峠の西の丘(白川台)に源氏が大軍を潜ませている様子、それだけが気がかりとは言うものの、全戦場の様子から見て、この戦いは楽勝と考えていた時に、山の手(滝山町)奥の山間から突如砂煙が現れ、煙の中から次々に騎兵が現れて山の手の陣を襲いました。
その途端、言い知れぬ戦慄が教経の体を襲い、震えは止めようにも止まりません。呆然と山の手の陣を眺めていた教経の視野に、転がるように逃げる平家の軍勢が恐怖を広げているかのように、逃げる様子が見えます。
襲った70騎程の武者は名乗りも上げず、頚を取ろうともせずに、追っては襲い??遮二無二に恐怖心を煽り立てています。
その内に山の手の陣から煙が上がり、逃げる武者にとっては誰が敵か味方か全く分からないままに、助けを大輪田の泊へ求めているのです。
この様子を三草山の山頂から見下ろしていた教経、大声で「敵は僅か、踏みとどまれ、??」と叫んでみたものの、その声は虚しく争乱の中に消えてしまいます。
ふと、東木戸の辺りを見ると、ここでも異変が起こっていました。
北野の高地から攻め下っている児玉党の武者から、「なぜそれほど強く抵抗なさる。後ろを見てごらんなされ」と声を掛けられた平家の武者、後ろを振り向いて驚いた。
山の手から大輪田の泊りまで白い煙に覆われ、平家の本陣壊滅の様子を告げているのです。
これを見ていち早く逃げ出したのが西国南海道より参加した地方武者、本陣が潰れたら恩賞どころではない、とばかりに海や山へと姿を消し、残された平家の武者が大輪田泊に向かって逃げている姿が、三草山から見下ろしている教経の視野に入った時、教経の目から大粒の涙が零れました。
【筆者紹介】
梅村伸雄(うめむら・のぶお)
昭和7年生。昭和27年鳥羽商船高等学校卒業。現在兵庫歴史研究会顧問。郷土史研究に携わる。著書に「源義経一の谷合戦の謎」(小社刊)『兵庫歴研』年会誌に「神戸にあった『難波』」、を連載中。その他「須磨一の谷説に物申す」を著す。