Pochitto(ぽちっト)神戸 | 地元のお話「神戸にあった難波」
更新:2023.1.23
第33回---地元のお話「神戸にあった難波」
淡路島 かよふ千鳥の
なく声に幾夜ねざめぬ
須磨の関守
淡路島で飛び通う千鳥の鳴く声によって、きっと幾夜も目を覚ましたであろう、須磨の関守は。
千鳥の生息環境は沼地、湖畔、砂質や泥質の海岸沿い、内陸の農地であり、湿った場所や水際を歩いて、昆虫の成虫と幼虫、甲虫、甲殻類、軟体動物、ミミズなどを漁り、波の寄せ引きに応じて、すばやく走り寄ったり退いたりして採餌します。
兵庫には鶴を筆頭として多くの水鳥が採餌する大きな湖があって、千鳥にとっても餌を漁るのには恰好な場所ですが、その千鳥が遠く離れた淡路島へ何故通うのか、大きな疑問を持ったので、自然史博物館の学芸委員に尋ねたところ、次の返事を頂きました。
千鳥は昼行性で、夜は休みますが、昼間に干潟のない時や、ハヤブサ等昼行性の捕食者を避けるために夜飛ぶときもあります。
須磨と淡路島を行き来するような渡りはないと思います。日周活動の中で行き来するには、須磨と淡路島は離れ過ぎていますし、淡路島にチドリ類が群れるような干潟はありません。
個人的な見解としては、須磨と淡路島をチドリ類が行き来したと考えるよりも、須磨の前の干潟にチドリ類が群れていたと考える方が、合理的だと思います。
この話を聞いて気付いたのは、前述した如く、摂播両国の国境は「赤石櫛淵」と言われた兵庫の湖でした。当然国境に関所がある筈です。
昔、須磨には東須磨・西須磨の他に浜須磨があって、浜須磨は川崎の州から西の古湊川と兵庫の湖の間でした。
また、兵庫の湖はかなり大きな湖で、難波潟とも呼ばれ、播磨から摂津に入るには兵庫の湖が交通を妨げていたため、今の大開通が昔の播磨路で、播磨路が古湊川を越えた辺り、大開通に須磨の関があったと考えられます。
湖の中には八十島または淡島と呼ばれる小島が点在していましたが、唯一、この湖の北端、JR兵庫駅の北側には直径六百メートル程の住之江と呼ばれる入江があって、その入江の中央に人が住む小島があり、その小島も淡路島と呼ばれ、明石大橋の南にある大きな淡路島と同じ名で呼ばれていました。
この小さな淡路島の北側に須磨の関があって和歌の舞台になっています。
『摂陽群談』には、「住吉大神社 月次の神拝、中就世俗群集の神事。毎歳三月三日汐干祭。此日当社の浦辺より淡路の海に至り白濱と成りて、人みな洲中に遊ぶ」とあって、同じ淡路島と名付けられる小さな淡路島があり、その浜辺で遊ぶ千鳥が歌の情景でした。
【筆者紹介】
梅村伸雄(うめむら・のぶお)
昭和7年生。昭和27年鳥羽商船高等学校卒業。現在兵庫歴史研究会顧問。郷土史研究に携わる。著書に「源義経一の谷合戦の謎」(小社刊)『兵庫歴研』年会誌に「神戸にあった『難波』」、を連載中。その他「須磨一の谷説に物申す」を著す。