Pochitto(ぽちっト)神戸 | 地元のお話「神戸にあった難波」
更新:2022.9.23
第31回---地元のお話「神戸にあった難波」
神戸ゆかりの高砂の松について次の歌を紹介します。
高砂の 尾上の桜
咲きにけり 外山の霞
たたずもあらなむ
高砂(大丸山公園)の桜が咲きました。まるで山に霞がかかったような美しさです。「高砂」。何故かおめでたい音容を漂わせる言葉ではありませんか。そうです、結婚その他祝儀の式などに「高砂」が謡われ、若い二人のいやさかを祝い、天下泰平を祝福するのですから、とりわけめでたくもあるわけです。
では、謡曲「高砂」の場面に添って話を進めます。
「高砂や、この浦船に帆をあげて、この浦船に帆をあげて、月もろともにの、波の淡路の島影や、遠く鳴尾の沖過ぎて、早や住の江に着きにけり、早や住の江に着きにけり。………さすには、悪魔を払い、をさむる手には、を抱き、千秋楽は民を撫で、には命をぶ。相生の松風の声ぞ楽しむ」
この謡曲が結婚式でよく謡われるのは、播州高砂の松と津の国住の江の松が、山川を隔てながら、神秘的に相生であるということによって、夫婦の和合を示し、の松を象徴として、種族の繁栄を祝福しているからだ、といわれています。それでは世阿弥が、如何なる地勢を実見しながらこの歌の場面を書き上げたのか、説明しましょう。
『播磨国風土記』には、摂津と播磨の国境にある湖の話から始まります。
湖の名は難波潟(兵庫の湖)、大きさは67ヘクタール程、東岸は櫛の歯模様、西岸は舟引原、此処には荒ぶる神の住吉三神が鎮座し、多くの舟を泊めました。
舟引原の終着点は、赤石の林の湊(大開付近)で、この著名な赤石から赤石郡と呼ばれ、後に明石と呼ばれる名勝の地となっています。湖の北には大きな入江があり、北東岸に在る住吉では入江を住之江と呼び、対岸の四天王寺では荒陵池と呼び、龍が棲んでいると言われていました。
謡曲「高砂」の謡い始めの「月もろともに」は満潮時の船出であり、「波の淡路の島影」は、湖に点在する小島です。また「遠く鳴尾の沖過ぎて」は、菟原住吉と四天王寺の間に在る狭い水路で、その鳴尾を過ぎ、赤石の湊を左に見て到着するのが住吉の湊、高砂から住吉まで650m程の船旅です。
住吉神社に着き、賢い君主の時代には鳳凰が飛んで来て「賢王万歳」と囀ると言われ、その声を曲に、その姿を舞いにしたと言われ、人世を言祝ぐ能を鑑賞するので、結婚式では高砂が謡われ、鳳凰の舞が舞われる訳です。
【筆者紹介】
梅村伸雄(うめむら・のぶお)
昭和7年生。昭和27年鳥羽商船高等学校卒業。現在兵庫歴史研究会顧問。郷土史研究に携わる。著書に「源義経一の谷合戦の謎」(小社刊)『兵庫歴研』年会誌に「神戸にあった『難波』」、を連載中。その他「須磨一の谷説に物申す」を著す。