Pochitto(ぽちっト)神戸 | 街角浪漫
更新:2018.9.23
第10回---街角浪漫
国道428号線(有馬街道)の途中に水源地というバス停があります。今鶴があった辺りですが、旧道沿いにコンクリートの囲いがありました。高校時代、その脇を抜けて修法ヶ原までランニングしていました。弘法大師御廟を越え、池に意外と 早く着きますので、ラグビーは手も使いますからボートもしっかりと漕いで、練習の一環としていたのも思い出の一つです。
90年前、神戸電鉄を有馬まで走らせた山脇延吉という人は、まだ小部駅辺りの人達がランプで夜を過ごしていたこの地に 電球で灯りをともします。当時群生していた鈴蘭に似た花からヒントを得、公募で鈴蘭台駅と変えてしまいます。
市内から10分で、空気の綺麗な別荘地。”関西の軽井沢”のキャッチコピーで、購買者には破格の安い乗車券を付けて売り出します。 当時六麓荘町と分譲が重なり競り合いますが、そこで彼が秘策として目を付けたのが、六甲山麓から湧き出る水でした。 美味しい水をもつこの分譲地は順調に売れていきます。
が、大きな問題が起こります。自然環境は申し分ないこの土地の 唯一の弱点。避暑地には持って来いの300メートルの高台の冬は、市内の人には寒すぎたのです。私財を投げ打っても 開拓の費用を賄えずに宇治電力(現在の関西電力)に支援を受けて代表の座から退いていきます。
しかし、1960年代から”寒さ”はさておかれ、本鈴蘭台の開発が進み、さらに神戸市、住宅公団が1万人規模の団地を、 山を切り開いて次々に造成し、1970代には鈴蘭台の名が4つ有る紛らわしい駅名で日本一になるなど街が大きくなって いきます。こうなるとランプをともしていた頃の水源地の水では足りません。千刈から、そして今では琵琶湖から の水が蛇口から出て来るようになりました。
山脇延吉が手掛けた分譲地の区画跡は、一本松踏切からコープこうべ辺りに未だに多数残っています。折しも鈴蘭台駅が新しくなりますが、有馬温泉まで線路を引き、沿線に街を創ろうとした彼の先進性が根ければ、出来なかったでしょう。
縁あってこの台地に暮らす私達です。お年寄りの方の住みやすい街はもちろんですが、子供達が大人になってもこの街が大好きで、ずっと暮らしたいと思えるような街を是非とも創っていきたいですね。
作 山善寿司 大将