Pochitto(ぽちっト)神戸 | 街角浪漫
更新:2018.11.23
第11回---街角浪漫
大学の先輩に当る方が、夕刊で明るい悩み相談室を開いておられました。そこに、息子が塾に行く前に毎回チャーハンを作ってくれというので、それこそ毎日希望通りに食べさせたのですが、よくもまあ飽きずに毎日同じものをと、もしかしたらこの子は味覚障害なのではと心配して母親が相談室に便りを出してこられました。
先輩の回答は、それならば一度本人に意見を聞いてみなさいとの事で、その息子さんの返事が最高でした。
だってお母ちゃんのチャーハン毎日味が違うから飽きひんねんとの一言。これぞまさしく?おふくろの味というものですよね。
この街の、普段は全く気にせず当たり前のように利用している所や物にも思いや歴史が存在しています。今は、すずらん保険やビリヤード場になっている南町の所には、ショッピングモールがありました。西鈴一帯にバスを運行させて集客を計り、又移動するだけに利用してもそれ程うるさくも無かったので、結構乗車率は良かった様に覚えています。そんな中、不便で寒すぎと同じ鈴蘭台町民からもからかわれていた君影にバスを走らせた人がいました。
当時自治会の会長をしていた本多廣美という方です。バス乗車だけの会員制の交友クラブを発足し、どの様にしてかダイエー前やコープさん等に停留所を設け、あっという間に便利な街に変えてしまいました。ただ300人程の会費では到底バスの購入費は足りるハズも無く、これまた苦労したみたいです。今は、神鉄バスが運行管理していますが、つい最近までこの路線バスには貸切の文字が書かれていたのはそういう歴史が有ったからです。このバス、日本にここだけしかない仕掛けがあります。鈴蘭台駅下のトンネルを通過する為に車高を切っているのですよ。故に神鉄バスの整備士は全国でもかなりの腕前と聞いています。
また、君影の団地には、何故か40年位前から地蔵盆が出来るお地蔵様がおられます。昭和の時代に公団というお堅いところがよくもまあ設置を許したものです。間もなく終わりを告げようとしている平成の世ならば街おこしの起爆剤とかで分からなくもありませんが。それぞれの地域に強烈な個性の持ち主が其々存在し、ニュータウンに文化を根差せていった時代。
面白い人達がいたもんです。
作 山善寿司 大将