Pochitto(ぽちっト)神戸 | 街角浪漫
更新:2022.11.23
第35回---街角浪漫
何故か23日は祝日が続きます。戦後に決められた祝日法によって、国家神道の匂いのする「新嘗祭」を辞めて感謝の日にしようとしたらしいのですが、何の感謝やねん?という事で、年の物を神々にお供えすることよりも、よく頑張ったからこんなにも採れましたよと自らの労働の証に感謝しますという事に代えられました。
また、文化の日は明治天皇の誕生日に憲法公布をし、半年後の5月3日に発布する事により「天長節」を残そうとした占領下の政府の意地が垣間見れた気がします。
この国には元々絶対的な神様等おられず、島を作る時も二人、その後も兄弟で目や鼻、さらに口から出した物からあっという間に八百万の神々を創り出しますから、草木や石、動物や鳥、はたまた虫にまで神様が宿ると感謝しながら日々を送っているのに、戦勝国の人々は何を恐れていたのでしょうかね。
この世に絶対や永遠のものなど存在しない事を私達日本人は知っているのですから。
例えばコロナや癌等の全ての病気が絶対治る薬など存在しません。そんな物を神様から授かったら、街中に腕を組んで歩くアベック?カップル?(そうそうリア充でしたね)が居無くなってしまいます。恋の病まで治してしまったら、草津や有馬の人達はどうしますか。ましてや付け薬で馬鹿まで治ってしまったら、桂三幸さんだって生活に困ってしまいます。
しかしながらそんな薬が発表される瞬間を生きてる間に是非とも見てみたいものです。祝日が多いと人は動き出します。例えば元旦の初詣は150年前の東海道本線の開通から始まります。大量輸送が可能になった事で、沿線の川崎大師の近くの川崎駅は参拝に来る人達で溢れました。
これを模範に阪急の創始者小林一三は宝塚線を神社仏閣の近くに通しつつ、沿線の宅地開発で安定した収客を図り終点の宝塚駅には歌劇場を建設し点を線に伸ばして行きます。ですが神戸線は山手を通るので住宅も少なく苦戦しましたが奥の手を打ちます。何と広告に、「いつでも座れる神戸線」の貼紙。これが見事に当たりました。彼は学校の誘致にも力を入れ、王子公園に有った関西学院、神戸女学院、親和女学院等ドンドン移して行きます。
そんな彼の親族の一人が住んでいたのが旧北区役所の辺りだったとか、鈴蘭台駅から鈴蘭台西口駅に登る粟生線の急こう配の北側にちょっと傷んだ塀が残っていますが、その邸跡の一部だという事です。元旦になると各鉄道会社が鼻息を荒くするのにはこうした訳が在りました。
作 山善寿司 大将