Pochitto(ぽちっト)神戸 | 街角浪漫
更新:2018.5.23
第8回---街角浪漫
神戸事件を覚えていますか。今から150年位前、備前(岡山藩)が、三宮神社辺りで仏兵と揉め、話が大きくなって英、独、米等が 大砲も含め、派手に打ち合った小競り合いですが、その時の交渉に紛争解決したことで、初代兵庫県知事に任命されたのが伊藤博文です。 その事件より何年か前、そのような争いが無い様にと、徳川幕府が、密かに港を迂回する道を開いていました。明石の大蔵谷から 御影公会堂辺りに抜ける西国往還付替道というバイパスです。後に徳川道と呼ばれるようになった道ですが、全国的には神戸 体操位知られていません。
しあわせの村の高速のゲートの少し南に架かっている歩道橋を、白川から渡り、ゴルフ場の外周を進むと、あいな里山公園の 萱葺家が見えて来ます。そこを右に向かうと星和台7丁目抜け出て来ます。星和台小学校の横を通り、頌栄保育園の下の調整池を 斜めに下り、小部川時に鈴蘭公園の歩道橋を越えて、ローソンとキリン堂の間の道を渡ります。2本目の道を右に、そして又2本目の坂道を 登ります。鈴蘭台小学校を右に見ながら道を渡ります。そして、すぐ左に曲がり、西町郵便局の少し北にある座標軸を右に、 ファミールタウンの中にある海賊ブランコの横の階段を下ります。
すると、昔料亭だった兵定の石碑が見えてきます。線路沿いの階段を上り、 道祖神を左に拝みながら道を渡り、万福寺方向に進み、線路の高架下を潜り抜けると、当時の石積が残っています。この辺りに、 別動隊の備前藩士鎧武者約六百人が、一夜の宿を借りたと伝わっています。みちくさの横の旧道を二軒茶屋方面に少し行くと、左摩耶山右 ふたたび山と書かれた石碑が建っています。
すごいでしょう。
今の価値で二億円から投じたのに無くなってしまったと思われていた道を、実はこの街の人々は毎日利用しているのですから。 所々壊れてしまった所はありますが、この街に住む人々には見えているはずです。
心へ続く道が。
作 山善寿司 大将