Pochitto(ぽちっト)神戸 | 街角浪漫
更新:2024.1.23
第42回---街角浪漫
お正月から続いた神社詣でも、厄神さんで一息つきます。
日本最古と謳われる多井畑に厄神さんが出来たのには理由があります。
ところで、ビックリしました前回は、発行日と同じ日に神戸新聞の記事の中に、六甲山はむこうの山。と見出しから始まって同じ様な内容が掲載されていましたね。アホが知れ渡ると心配していた煮炊き物が絶品の居酒屋「ひよこ」のママさんでしたが、記事になるくらいやから皆そうやったんや。と少し安心されてました。
さて厄神さんの話に戻して、むこうの山と言っていた頃の時代の話ですが、当時の国境は須磨境川から多井畑を通り神鉄栄から丹生山の西側にかけて摂津と播磨の境界線になっていました。(その国境沿いに神戸西インターに続く神戸淡路鳴門自動車道が走っていますので解りやすいと思います)大和に都があった時代ですので、国境の関所といえば須磨に有り、ここは淡路島の東側から続く断層に海水が入り込んで出来た所ですから鉢伏山の麓の海岸沿いの道は狭く(その時代の人々はこの地を当初は狭い,瀬間い、せまい、すまい、すま、そして平安時代には須磨と呼ばれる様になりました)天候が崩れると何日も通行出来なるので、いつでも通れるもう一つの関所として整備されたのが、明石から比較的平地を真っ直ぐ通る事が出来る多井畑でした。
覚えていますか?コロナの時に政府は何をしたか。そうですね「ロックダウン」です。ウイルスの存在等全く知らないその時代の人々は、関所を封鎖する事で疫病の感染を防いだのです。するとそれは神様にお守りしていただいたからやと神社を 建てます。それが 厄神さんの始まりになります。故に全国の厄神さんの近所にはおおかた昔の関所が有りますので旅行の際に確認してみると、また一つ楽しみが増えますよ。
又、多井畑厄神さんの北側に、猿田彦神社が鎮座されています。神武の東征の際に、先導役として現れた神様ですので、勿論旅行等交通の神様としてあがめられていますが、ここの神様は江戸時代に今は町名としてだけ残っている佐比江町に分祀されています。佐比江といえばかって丁場の辻から真っ直ぐ北に上がった兵庫津一の花街でした。
いつの時代でも神戸レディースは流行の先端を走っていたんですね。江戸の吉原でも流行った兵庫髷(まげ)の発祥の地として繁栄を極めていましたが、旅人の安全祈願も兼ねた情緒溢れるレディースの憩いとして、月に一度そこの猿田彦様詣を楽しんでいたのですが、さすがに遠く彼女達の為に其処に来て貰いました。そして時は移り明治の世になると、佐比江は伊藤博文の住む公邸と共に東へ移動して行きます。その場所は遷都七百年に因んで福原と名付けられました。何千年もの時空を駆け巡る旅が簡単に出来る街神戸ですが、すっかり様変わりした佐比江に猿田彦神社は今でもその場所にお祀りされておられます。
作 山善寿司 大将