Pochitto(ぽちっト)神戸 | 街角浪漫
更新:2020.3.23
第19回---街角浪漫
人類の祖先が、絶滅の危機を乗り越えて南アフリカのケープタウンの端にまでたどり着いたときには、個体数が1万を切っていました。そのおかげで分析が容易になり、飛躍的に向上したテクノロジーを駆使した現代の日本の学者によって、ヒトゲノムの全解析に繋がりました。
平清盛が死ぬ前の高熱の原因は、宋からの壺に入っていたマラリア蚊によるものだと現代医学では考えられているそうです。しかしながら清盛は、当時の京都の下水処理の汚さによる天然痘等の疫病を嫌い、岬の西側から流れる爽やかな風と綺麗な水を求めてこの神戸に都を造りました。
貿易によって巨万の富を得ましたが、それ故の異国からの死をもたらす使者に命を奪われるというのも、神戸大好きの人だっただけに可哀想な気がします。
清盛没後200年程後に、ギリシャ時代から人々を苦しめたペストが中国で大発生し、また毛皮に付いていた蚤から、ヨーロッパにまで伝播し、大いに猛威を振るいながら流行を繰り返し、遂に19世紀の終わりには、インドから輸入された綿花に混流した鼠から横浜に、少し遅れて半月後には神戸でも発病しました。
全世界に猛威を振るったペストですが、その後日本においての感染例は有りません。それは日本の細菌学者 北里柴三郎がペスト菌を発見したことにより、有効な消毒法や治療法が考案されていった事に他なりません。ただその時の流行が3回目ということらしいのですが、この流行の終息は100年経過しているにもかかわらずまだ終わっていないそうです。
以前にも紹介しましたすずらん公園の桜並木ですが、今年から葉桜になっても楽しめることが一つ増えます。緑の相談所が有った所に、子供達が楽しめる(わくわく森のタワーコンビネーション)遊技場が建設中です。何も解らないものに対しての恐怖や脅威の感じ方は、人によって様々でしょう。目に見えないものから子供を守ることが最優先ということですが、絶滅の危機に瀕しても必ず艱難辛苦を乗り越えてきた我々です。
此度のウイルス感染の後に、ゲノム解析の様により他の脅威からも身を守る物を発明してくださると思います。なるべく人様にご迷惑をお掛けしないようにと心掛けて暮らしていこうと思いますが、日々の暮らしの中でのチョットした楽しみや歓びは、穏やかに噛みしめたいと思います。何があっても季節は変わって往くのですから。
今回は時勢に鑑み文書を変更しました。
作 山善寿司 大将