Pochitto(ぽちっト)神戸 | 街角浪漫
更新:2020.5.23
第20回---街角浪漫
【摩耶山はお釈迦様のお母さんの名前】
今までこの世の中で一番愛されている人はと言うと、お母さんでしょう。子供達がとびっきりの笑顔をふりまき、どっちに向かって走ったろうかくらいの事しか考えずに、公園の中を子犬よりも動き回っていても、優しさに包まれた温かい瞳で見守ってくれる人がお母さんです。
さて、そんなお母さんの一人でお釈迦様のお母さんの名前が就いた山が神戸に有ります。空海が、804年遣唐使として船旅の無事と学問成就を、和気清麻呂が開いた観音霊場に祈願し、806年唐からの無事の帰国を感謝してこの辺りで修行に励みます。
その際に、持ち帰った摩耶夫人の像を?利天上寺(とうりてんじょうじ)に納めて以来、標高702メートルのこの山が摩耶山と呼ばれるようになりました。そして、再度修行された事で標高470メートルの観音霊場は、摩尼山から再度山と呼ばれるようになりました。
天上寺に話を戻しますが、摂津随一の寺として天皇家、更には徳川将軍家にも重用され、両家の家紋をも使用できるほどのありがたいお寺でしたが、1976年の冬に賽銭泥棒による放火のためにほぼ全焼してしまい、少し離れた場所に再建されているのですが、33年毎に開帳される秘仏の十一面観音菩薩と仁王門だけは往時のまま残っています。
ふもとから、安産の腹帯を求め参道を歩いて登って来るべっぴんさんの写真が絵葉書で残っています。石段を勘定して登っていくのですが、何度登っても登った石段の数が合わない事で有名だったそうです。学生時代に習った時の標高は600メートル台だったこの山は、西鈴蘭台から鈴蘭台側に向かって見上げると、丸みを帯びた頂きにサンテレビの電波塔が並んでいるのが見えます。
阪神タイガースが勝っている時にはより多くの電波が放出されるみたいですので夜でも直ぐに見つけられます。1500年を経てより親密になった母なる摩耶山は知っています。100年経っても私達は楽しく生き続けていることを。愛に溢れるおばあちゃん達のあのパワーを受け継ぐ娘さん達が新しい命を育み、そして環境や価値観が現在とは変わっても語り継いでいくからです。
あん時の爺ちゃん婆ちゃん達はよく頑張ったと。そのためにも子供達の住みやすい街にするために力を合わせていかねばなりませんね。
作 山善寿司 大将