Pochitto(ぽちっト)神戸 | 街角浪漫
更新:2020.7.23
第21回---街角浪漫
【高度300メートルが産んだアスリート達】
昭和51年8月18日第58回夏の甲子園大会は、市立神港高校が岡山東、更に鉾田一高にも勝ち桜美林高校と互角の戦いを繰り広げていました。その年の決勝戦を延長の末、PL学園を下した桜美林に惜敗しましたが、マウンドを1人で投げぬいた中村誠投手は、北五葉小学校、鈴蘭台中学校の卒業生でした。その3年後同じく鈴蘭台中学校から市立神港高校に進んだ西尾亨投手は、ドラフトで読売巨人軍に指名されました。
72回大会は唐櫃出身で、後にオリックスの守護神として活躍した戎信行君が30年ぶりに育英高校を甲子園に連れて行きます。
ラッキーゾーンがある最後の大会の73回大会、タイガースの指名を受けた安達智次郎投手、西武ライオンズから指名された北五葉小学校、鈴蘭台中学校出身の黒田哲史を有した村野工業高校が初出場を飾ります。
その年の春の63回選抜大会には、近畿代表に神戸弘陵高校と三田学園が選ばれ、3月31日の広陵との引き分け再試合のマウンドに立った学園の岡本晃投手は、北五葉小学校出身でした。彼らアスリートの昔を語る方々は、あいつにカーブを教えたんは俺や等と必ずのたまっておられますが、その甲斐があってのことでしょう。岡本君も近鉄に指名されました。因みにこの大会には鈴木一朗ことイチローも出場していました。
2010年、91回大会は70年ぶりに関西学院が8月12日酒田南高校を7-3で破り、17日には準決勝で菊池雄星の花巻東を11-1で撃破した中京大中京をあわやというところまで追い詰めましたが4-5でサヨナラ負けでした。その時の二塁手が木下タバコ店の御子息、木下岳君です。野球繋がりで忘れてはいけない人が2人います。
横浜ベイスターズで開幕投手を務めた有働克也君は、君影シャークス出身です。君影町からは、鈴蘭台中学校、兵庫高校と野球部マネージャー、現在は読売テレビの喋るジンベエザメから転職され、大学教授になられた脇浜紀子さんも欠かせません。
甲子園が面白いのは、地方大会から、選手一人が灯す聖火の灯りを戦う度に勝者が敗者から託された灯を継ぎながら戦い、更に選手を支えるマネージャー、母校を愛するOB、我が子を想う父兄、そして関係者達の一粒の汗と涙から零れた愛が、対戦する度に球場に溢れ出しているのを目に焼き付けて、代表としての誇りと託された灯から炎に育った責任を背負った互いの戦いが、言葉に出来ない何か、勝敗よりも大切な感動的な物語を観ているからでしょうね。
作 山善寿司 大将