Pochitto(ぽちっト)神戸 | 街角浪漫
更新:2022.9.23
第34回---街角浪漫
仏教は、遠い遥かなインドから中国を越えて聖徳太子の時代に日本に伝わりました。
サンスクリット語で、パーラミター(波羅蜜多)と書いて漢字に直すと「到彼岸」と読むそうです。
インダス川や黄河の様な大河があるにも関わらず、お彼岸のしきたりは、日本にしかないそうです。
人は亡くなったら仏さまになると教えられてきましたが、それは生前に功徳を積み、悟りの境地に至った人のみらしく、我が家のご先祖さまが仏様になるためには、我々のお祈りが相当いるらしく、お祈りの貯金が貯まると、晴れて亡者から仏様にランクアップするそうです。
一番多い利率はお盆の時らしいですが、真西に有る西方浄土に一番近い日にも拝むとお祈り貯金が増えるそうで、春と秋の二度、きっちりと拝む事が出来るのは日本だけだとの事で、凡人には有難い国です。若い頃には見向きもしなかったのに、歳を重ねるにつれて先人たちのテーマパークである神社仏閣に何故か足を運んでしまいます。
想いを馳せるのは「四国八十八か所参り」ですが、その前に、「西国三十三か所巡り」も、駅スタンプならぬ御朱印帳を書いてもらうだけで何故だかワクワクします。
六十五代天皇であられた花山院法皇が那智山で修行されていた時、夢枕に立った閻魔様から、あまりにも地獄に送られてくる人が多いのを嘆き、徳道上人に三百年位前に授けた三十三の宝印が宝塚の中山寺の石櫃に収められている事を聞き、観音様の持つ減罪の御利益にあやかり、およそ千キロの巡礼の旅に出たのが始まりとされています。
花山院様は摂関時代の方なので藤原道長達の財力もありますから巡礼地になった寺は、おかげで自らお唱えになられた詩が、お盆の時にご先祖様をお見送りする御詠歌としてCMソングにもなり千年以上経った今も繁栄しています。又、この観音霊場ですが、西の円教寺から美濃の谷汲寺まで一度も平地に降りること無く巡礼する事が出来るそうです。
故に、山伏の修験道として、時には忍者の情報中継所としても利用されていた事も有ったようです。花山院様は天皇ですので御廟は京都に在りますが、ゆかりの寺として有馬富士にある東光山菩提寺に祭られています。因みに有馬富士は丹波竜達が幅を利かせていた頃の元火山です。おそまつ。
作 山善寿司 大将