Pochitto(ぽちっト)神戸 | 街角浪漫
更新:2019.7.23
第15回---街角浪漫
元号のイニシャル当て遊びを以前にしましたが、Rでした。外れました。
しかし「令和」ナント響きのいい音でしょう。東灘に50数台もの山車が集結する等、新年を迎える事がこんなにも幸せな気分になる事を一度でも味わってしまいますと、日本人ならまた味わいたいと思いますよね。
上皇は平成になって、ひたすらにお祈りをされてこられました。大震災や他にも多くの災害に見舞われた平成でしたが、天皇が皇后様と共に災害があった各地に出向かわれただけで、不思議とその地域にはそれ以上の災害がありませんでした。私達の為に祈り続けてこられたのにも関わらず、30年前と同じ様な祈りの力が無くなったからというのがこの度の譲位のようですが、平安時代、院制という政治手段を使って天皇以上の権力を手に入れた後白川上皇の事など、米国の超エリートは承知の上で、再び戦前のような国家にだけはさせまいと草案を創り上げた日本国憲法を、この方は祈り続ける事だけで変えてしまいました。
さて、院政政治の流れの中でその権力を受け継いだのが、神戸に都を遷都した平清盛ですが、実は西鈴蘭台も結構彼と縁が有ります。平安京の延暦寺にならって明要寺(現在の丹生神社、豊臣秀吉の焼き討ちに遭う迄百数十坊の寺院が山を覆っていたと言われています)に月参りをする際に、夢野から熊野神社を右に向かい、烏原水源地辺りから鵯墓地を越えて、星和台と墓地の境界線を抜け、星和台4丁目に有る源氏谷公園を通って藍那に入り、更に長坂山を越えていく道と、君影小学校辺りから唐谷橋に出て西鈴蘭台に抜け、同じく長坂山越えの道に至る2ルートを使ったようですが、その道を利用した義経に平家滅亡への道のりをつけられた事は梅村先生が詳しく述べておられます。
千年前の歴史を変えた道がこの辺りを通っていたことを踏みしめて、祈り続ける事だけで、上皇が平和な時代に甦った事は、大統領がお祝いに駆け付けてくれた事も一緒に千年後の教科書に載っている事でしょう。あの国から少しだけ信用してもらったみたいです。
次は沖縄の基地ですね。
作 山善寿司 大将